【日記】萌えミリのオタク、スタンディングに行く
スタンディングの感想
4月8日、地元でスタンディングが行われることを知ったので、初めてのデモに参加することにした。
参加者は80人程度で、想像よりも多かった。開始時刻が早かったので、会社を早上がりして会場に向かった。
噂の宗教団体も来ており、人通りの多い方に立って、拡声器を使っているのでかなり目立った。側から見れば同じ集まりに見えてしまうし、第一印象でも負けてしまう。「新聞配りとは無関係」のプラカードは特に目立たせるべきだろう。
参加者同士で少し話をしたのだが、宗教団体を迷惑だとは思いつつも、その活動の自由を妨げるべきではない、という意見で合意できたのは良かった。
道ゆく人々からの反応は、冷笑的なものも多く、立っていると意外と聞こえる。中にはマンスプレイニングや明らかな嫌がらせをしてくる人もおり、中々見れない人間の悪意を観察できた。
しかし、こちらも集団なので悪意を向けられても「マンスプレイニングって実在するんだ」と笑い飛ばせる。この点はかなり心強かった。
多くの人はデモに無関心で通り過ぎようとするのだが、挨拶をすると反応をしてくれる人も居た。気さくな挨拶は大事である。
自分が話を聞いた参加者は、全員少し遠くから来ており、地元は知り合いに会う可能性があるので避ける傾向があるようだ(自分もそう)。自分の意見を周囲に共有できないもどかしさがある人々が、安心できる仲間と話し合える場というだけでも意義がある集まりだと言えそうだ。
参加して分かった反省点としては、曲がりやすいペラ紙は持ちづらいこと、端に文字を書くと手で隠れやすいということだ。そしてアイサツ重点。
萌えミリのオタクとしての参加
これは用意したプラカード。かわいい。
萌え萌えスタンディング、開始#平和憲法を守る0408 pic.twitter.com/X1UoTsclqe
— 深紫 (@purple_d_101) 2026年4月8日
自分はミリオタであることと、反戦の両立を主するプラカードをデザインした。
モチーフとしたのはスペイン内戦の共和派だ。世界史上、スペイン内戦は第二次世界大戦の前哨戦と認識されている。
現在の国際情勢が、後に第三次世界大戦の前哨戦と位置付けらぬように、という意味合いを込めて題材を選定した(こういう誰にも分からないこだわりこそが、けだしミリオタというものであろう)。
オタクによる反戦デモでは、オタ活は平和な時代でないと楽しめない……という趣旨の主張をするオタクの姿が目立ったが、こと萌えミリに関しては、平和な時代になっても、もはや以前のように気軽に楽しむことはできないだろうと考えている。
『艦これ』や『ストライクウィッチーズ』や『ヘタリア』など、著名な萌えミリ作品の多くは、「戦争は過去の過ちで、今は平和である」というナラティブがその根底にある。国家は仲良くできるし、そうであるべきだという平和的な思想だ。
ところが現代、このナラティブは決定的に破綻してしまった。今は平和ではない。いや、以前からずっと平和ではなかった。他国の戦争を糧にした経済成長、テロや独裁者への対応を口実にした侵略戦争は、今も昔も変わらない。
こうした戦争観の変化に伴い、萌えミリはどこか現実離れした、気まずいものとなってしまった。
自分は今でもミリオタではあるし、戦争をテーマにした作品も好きだ。だが、今でも萌えミリのオタクかと言われると微妙かもしれない。このプラカードは喪の作業のようなものだ。
ちなみにスタンディングの参加者は皆、ミリオタにも優しかった。また機会があれば参加したいと思った。絵を描く口実にもなるしね。
【映画】『劇パト1・2』『ヴァージン・パンク』
ここ最近YouTubeで無料公開されていたアニメ映画達の感想。
ヴァージン・パンク
義体技術が発達した社会で、主人公の女性が子供の義体に脳移植されて、賞金稼ぎとして働かされるお話。
これは『ガンスリンガー・ガール』オタクのおじさんに、性癖を押し付けられる話だと言い換えた方が分かりやすいと思う。
このおじさんが絶妙に変態だが、不快になりすぎない塩梅で描かれているのが面白かった。
おじさんは少女の裸を見たり、性的なメタファーっぽい言葉遣いをしたり、お風呂屋さんを経営しているなどのロリコンっぽい振る舞いをするが、性的なことは求めていないし、性欲らしい性欲も見せない。これは我々オタクが二次元の戦闘美少女に萌える感覚に近い距離感だ。
このキャラクターはものすごく変なのだが、絶妙なバランス感覚でヘイト管理がなされているのが凄い。
主人公は大人から少女にされてしまうのだが、はっきり言って大人のデザインの方が魅力的だった。主人公のデザインが変わったことが残念に思えるので、身体を変えられて嫌がる主人公に共感して見れる。
これが意図的なものだったら凄い。自分にロリコン適性がないだけかもしれないが。
全体的な作品の雰囲気は、ものすごく出来のいい卒業制作みたいだと思った。バトルシーンや音楽はキメキメだが、敵の背景はよく分からなくて、お話も中途半端なところで終わる。ストーリーよりアニメーションを見るタイプの作品だが、前述したようなキャラの性格表現にも抜かりがない。
このアニメで評価が分かれそうなところは、話が中途半端な状態で終わる点だ。一応、続編の可能性はあるようだが……
ただ、自分は続編が必須であるとも、見たいとも感じなかった。未登場のキャラが居る、倒すべき敵が居ると示されたが、視聴者の予想を覆し得る謎などは見当たらないからだ。これはこれで一本の完成した作品ではないかと思う。
機動警察パトレイバー the Movie
「機械開発はオワコン、これからはソフト開発の時代」という価値観が根底にある映画。
これはAI技術が進化する現代にも通じる危機感なのだが、ソフト開発でも日本が覇権を維持しているのには時代を感じる。
問題なのは「機械はオワコン」の価値観が作劇全体に及んでいる点で、ロボットアニメなのにロボットが出てこない場面で物語が動いてしまう。見かけ上はかっこよく動くが、実はなくてもよい。ただの重機や戦車でも同じ話はできるし、メカですらなくてもよいだろう。
レイバー乗りの泉と技術者の篠原、ダブル主人公のような建て付けだが、実際には泉が相当割を食っている。
トマトの扱いはそれを象徴するようで、泉が菜園から貰ってきたトマトを篠原に渡そうとすると、彼は「デート」に付き合わせて料理を一緒に食べる。技術者の発想は現場のレイバー乗りに必要だが、その逆は不要である、という意味だろう。
機動警察パトレイバー 2 the Movie
結論から言うと、この映画のテーマがとても嫌いだ。
朝鮮特需のような他国の戦争で成り立つ平和・繁栄を問題提起する映画。戒厳令の様子は、冬が舞台なので、近年の韓国のそれを想起した。日本なら街中を戦車が練り歩いても、大規模なデモのような反発は起こらないだろうな……という点で生々しく感じた。
日常生活に戦争が入り込んでいく恐ろしさ、リアルな兵器描写などは素晴らしく、問題提起という点では概ね成功していると言っていいだろう。
ところがこの作品には、市民の視点が甚だしく欠如している。物語の大半は組織人同士のやり取りが占め、比較的市民に近い視点を持つだろう泉と篠原は、物語からほとんど排除されている。
泉は終盤で、単なるロボット好きでは居られない、という趣旨の台詞を言う。これは自分が戦争の中に居ることを自覚した市民の振る舞いが描かれるのか、と思いきや相変わらず蚊帳の外である。
純粋に市民と呼べる唯一の目立った登場人物であろう、警察官の妻の描写は恐ろしく解像度が低い。彼女は命懸けの仕事に行く夫を、妻として母親として止めようとするストックキャラクターとして描かれて、そこに至るまでの背景は読み取れない。
物語は90年代、登場する仕事人の99%は男性だ。彼女がストックキャラクターのような振る舞いしかできないことには、本来はそれなりの事情があるはずだ。
この問題は南雲と柘植の恋愛描写にも共通する違和感で、柘植のカリスマ的性格や、部隊内で女一人という立ち位置から、二人の関係性は間違いなく対等なロマンスではないだろう。
この映画の作り手達も市民であり、戦争を知らない世代であるはずだ。ところがこの映画の内容は、自分が市民でないと勘違いしているようで、せっかくの問題提起が台無しだ。
【書籍】『集団浅慮 「優秀だった男たち」はなぜ道を誤るのか?』
この書籍は、タレントの中居正広による性加害事件を発端とする、フジテレビの組織問題を扱ったものだ。
フジテレビの調査報告書の公開時、著者は報告書を読み、「これは魂の報告書だ、みんなが読むべきだ」と評した。この報告書は大きな評判を呼び、社会を変えるものになるだろう、と著者は思った。しかし、そうはならなかった。
それゆえ、著者は報告書の内容を世に知らしめるため、報告書を分かりやすく要約・分析した、『集団浅慮』を著したのである。
題名である『集団浅慮』はフジテレビの報告書内の文言から取られたものだ。
これは優秀な個人であっても、集団になると愚かな決断を下してしまう現象のことを指す。集団浅慮は群集心理とは異なり、カリスマ的な指導者や熱狂を伴わない。
著者はこの集団浅慮こそが報告書の重要な点であり、それはフジテレビだけに限らず、日本のあらゆる組織に潜む罠だと指摘する。
そのため、『集団浅慮』はフジテレビの報告書を読み解きつつ、問題を自分ごととして捉え、教訓を活かすためのビジネス書として書かれている。
構造問題としてのフジテレビ問題
著者がそうであるように、フジテレビ問題をスキャンダルとして消費するのではなく、他の組織にも通じる問題として読み解く動きは、市井のレベルでは存在していた。
フジテレビ問題のような性暴力やハラスメント、そして事件発生後の組織の不適切な対応といった問題は、組織・地域を問わず度々発生していた。フェミニズムや社会学の視点では、それらは偶然の類似ではなく、共通する構造問題として捉えられてきた。
ところが、まさにフジテレビ問題に見られるように、性暴力やハラスメントは個人的なトラブルとして認識されやすい。また、権力者集団が「ボーイズクラブ」である場合には、被害の軽視や権力勾配への無関心も生じやすい。
報告書がなぜかスキャンダルとして消費される、社会を変革しないといった事態にも、フジテレビ問題と同様の力学が働いていると言えそうだ。
フジテレビ問題が世に知られた後も、同様の問題は発生し続けている。私がこの本を読むべきだと感じるきっかけである、小学館問題がまさにそれだ。性暴力が隠蔽され、不適切な対応の結果、組織問題として非難されている。
この問題は、以前小学館で発生した『セクシー田中さん』問題との共通点も見出されている。
『セクシー田中さん』問題は、漫画のドラマ化の際にテレビ局と漫画家が「原作改変」の是非で揉め、最終的に漫画家が自殺に至った事件である。
『セクシー田中さん』問題では、小学館とテレビ局の双方の手で報告書が作成されたが、フジテレビ問題の報告書とは異なり、フェミニズムの視点の欠如が見られた。「原作改変」が発生した理由として、原作のフェミニズム的要素の軽視が指摘されず、単なる意見の相違として扱われていたからだ。
『集団浅慮』の話に戻ろう。著者は社会学やフェミニズム畑の人間ではなく、この本は「ビジネス書」として位置付けられている。
しかし、だからといってフェミニズムの視点が欠如しているとか、既に提起されていた問題を「新発見」しているわけではなく、しっかりと巨人の肩に乗った上で主張がなされている。この点が非常に好ましいと感じられた。
集団浅慮と人権意識
著者はフジテレビ問題を、集団浅慮と人権意識という二つの切り口で考える。
集団浅慮は、米国の心理学者ジャニスによって提言された概念だ。ジャニスは集団浅慮は凝集性の高い集団で生じると指摘する。
ここで言う凝集性とは、メンバーをその集団に留まらせようとする力のことだ。「アットホームな職場」のような仲良しクラブを想像すると分かりやすい。
詳細は書籍内でまとめられているため割愛するが、集団浅慮が発生すると、メンバーは議論を嫌い、良かれと思って異端者を排除するなどの問題が発生する。
しかし、メンバーの仲が良いこと自体は悪いことではない。仲良しクラブで集団浅慮が発生するか否かの分岐点となるのが、第二の切り口である人権意識だ。
フジテレビの報告書では、問題が発生した理由として、権力者が高齢男性に偏っており、多様性に欠ける点がたびたび指摘されている。俗に言うボーイズクラブ(書籍内ではオールドボーイズクラブと表記)である。
著者は、日本の雇用形態とボーイズクラブの相性の良さを指摘する。終身雇用を基本とする日本の雇用形態は、凝集性が高くなりやすい。それに女性の妊娠出産によるキャリアの断絶や、女性は家で働くべきだという規範が加わると、自ずと権力者が高齢男性に偏ってしまうのだ。
この問題への対処策として、著者は組織の多様性、ダイバーシティを高めるべきだと提言する。
これ自体は一般論ではあるが、多様性を同質性の対義語として起き、集団浅慮の発生を防止するものとして語られている点が特有である。
集団浅慮で発生する問題は、悪意があるわけではない。フジテレビ問題では、関係者は「被害者への二次加害を防ぐ」「被害者を傷つけないために」という理由で事態を悪化させていった。そうした思いやりは押し付けに近く、被害者当人の意見は反映されなかった。
著者は、人権とは思いやりではなく「尊重される権利」であるとまとめる。報告書内で指摘されていた思いやりの空回りや、集団浅慮の特徴といった問題が、この言葉によってまとめられるのは見事な構成である。
これは、カント倫理学における理性の尊重と同じ話をしていると思われる。カント倫理学は現代の人権思想の基盤となった思想である。
カント倫理学では、余命幾許もない病人に対して、寿命をごまかすような嘘をついてはならないとされている。なぜならそれは、相手に真実を受け入れる理性が無いと軽んじているからだ。
現在進行形で起こっている小学館問題では、元加害者が作家として復帰する際に、被害者の許可を取るべきか否かという新たな論点が生じている。
が、これは理性の尊重の原理に立てば、被害者には真実を知る権利があり、その上で伝え方には配慮のしようがあると言うことができるだろう。
「日本のメカ専門家」による「ローカライズ陰謀論」の問題について
現在、アーマード・コアのファンとして知られるインフルエンサーが、「ゲームの翻訳は政治的に改悪されている」という主張を肯定し、広めている。
それは一見すると、翻訳の質に対する単なる意見のように見えるかもしれない。
しかしこの主張は、海外では長年に渡りゲームやそのクリエイターへの差別的な攻撃を生み出してきた陰謀論と深く結びついている。
この記事は、上記の問題の周知を目的としたものである。
この記事では、発生した事実の提示と、その背景や危険性、ファンダムの在り方などの話題を多岐に取り扱う。
1.発生した事実とその問題
1-0.本項の要点
- 当該人物は、ゲームの「ローカライズの私物化」問題が存在すると主張している
- 上記主張は、自らの著したgame*sparkのコンテンツと関連付けて行われている
- 「ローカライズの私物化」問題が存在する根拠は乏しく、ゲームやクリエイターに対する不当なバッシングが発生している
1-1.「日本のメカ専門家」について
当該人物はゲームクリエイター、ライター、そしてアーマード・コアのファンとして知られるオリー・バーダー氏のことである。
バーダー氏はX(旧Twitter)上で、自らがゲーム系Webメディアgame*sparkに著したコラムに関連して、ゲームの「ローカライズの私物化」問題が存在するという感想を、肯定的に扱っている。
① https://x.com/cacophanus/status/2010929456828072153?s=46&t=ZzkmM5_a0-iLnSKnVpYtgQ
② https://x.com/cacophanus/status/2010626131175821706?s=46&t=ZzkmM5_a0-iLnSKnVpYtgQ
「ローカライズの私物化」は翻訳者の政治的主張によって行われると考えられている。
詳細は後述するが、これは根拠が乏しく、ゲームやそのクリエイターへの不当なバッシングに繋がる主張でもある。
これが一度であれば「うっかり」とも解釈できるが、彼は同様の主張を複数回引用している。
また、ソースを提示できないが、彼は以前にも「ゲームが作品外の問題で批判を受けることを懸念している」というような反多様性的ニュアンスの主張を拡散していた。
上述の行為は、他者の意見の拡散や言及という曖昧な形で行われるため、ただちに彼自身の主義主張に問題があることを意味しない。
しかし、彼は大手Webメディアに寄稿する、ゲームクリエイターという肩書きを持つ。
そのため、彼が肯定した意見は、ある種の「お墨付き」を与えられたようにみなされてしまう。
1-2.文責の曖昧さ
「ローカライズの私物化」問題なる主張は、game*sparkの当該記事内では行われていない。
だが、ライターが自らの記事に対する言及として、これらの主張を行うことは、game*sparkのコンテンツとしての主張であると、誤解を招く行為と言える。
このような振る舞いは、ライターとして適切なものであるとは思えない。
バーダー氏はこれらの主張に対して、具体的な作品や企業名といった根拠を示してもいない。
1-3.ローカライズ陰謀論
ゲームの世界には、ローカライズ(翻訳)において左派的な翻訳者が政治的意図で内容を改悪している、という主張が存在している。
この主張の根拠は大抵、恣意的な切り抜きによるものだ。
『龍が如く』シリーズや、カプコンのローカライズチームは、文化や包括性に対しての意識を表明しただけで非難に晒された。
また、方言による翻訳を行った『Still Wakes The Deep』は、原作のニュアンスの反映を目指しただけにも関わらず、翻訳者が無断で内容を改悪したという偽情報を流布された。
(参考サイト:海外のゲーム(Still Wakes The Deep)が九州弁(長崎弁)で翻訳されたのは、何がまずかったのか — Word Tailor)
いずれの事例も、翻訳者の独断や改悪とは言いづらい。ローカライズの問題が、頻発する深刻な問題であるかのような主張には根拠が乏しく、陰謀論だと言ってもよいだろう。
「ローカライズの私物化」問題の主張者は、翻訳文が翻訳者の創作物であることを否定し、AIによる置き換えを肯定することもある。
バーダー氏もそうした主張を(おそらくは肯定的な意味で)拡散している。
バーダー氏はゲームクリエイターとしての活動歴もある。彼自身の主張は、何か未公表の実体験に基づくものである可能性も考えられる。その場合でも、一般化を行なってもよい問題なのかは考慮が必要ではある。
しかし、彼が肯定的に扱った主張は、いずれも一般のゲーマーによるものだ。
上述の通り、一般のゲーマーの間で語られる「ローカライズの私物化」問題は根拠に乏しく、ゲームやクリエイターに対する不当なバッシングに繋がっている。
2.「ローカライズ陰謀論」の背景事情
2-0.本項の要点
2-1.ゲーマーゲート
上述した陰謀論は「ゲーマーゲート」と呼ばれる海外の政治運動の一部である。
かれらは左翼的・意識高い系(woke)とみなしたゲームやそのクリエイターに対し、差別的主張に基づいたバッシングを行っている。
こうしたインターネット上の政治活動はQアノンへと発展し、米国での議会の襲撃など、現実世界での暴力事件を招いている。
日本ではあまり知られていない問題だが、アメリカでは国家を揺るがす重大事件となったため、非常に悪名が高い。
2-2.ゲーマーゲートの世界観
ゲーマーゲートを理解する上で重要なのは、それが政治思想(イデオロギー)だという点だ。
ターゲットには奇妙な共通点があり、批判の根拠にはデマや切り抜きが頻発する。
「たまたま出来の悪いゲームを批判しただけ」ではなく、初めにwoke的なものへの嫌悪があり、それから粗探しが始まるからだ。
ゲーマーゲートは、ゲームの世界において女性やマイノリティのクリエイターが優遇されていたり、ゲームに多様性が押し付けられている、という陰謀論的世界観を共有している。
ゲームは男性文化であり、wokeは「外敵」である。
ゲーマーゲートが、単に特定のゲームに批判が集中することや一般の抗議運動と異なるのは、独自の世界観に基づく主張をする点だ。
翻訳者の独断による改悪、多様性の押し付け、ゲーマーの望まない配慮など、自分好みのゲームが作られない理由を「外敵」の存在に求める物語は、その典型的な現れだ。
よって、ゲーマーゲートの世界観にそぐわない、マイノリティ性を抱えていたり、wokeな表現を望むゲーマーは居ないものとされる。
ゲーマーゲートが本質的に問題視されるのは、現実離れした世界観を提示し、他者の存在そのものを否定する主張であるためだ。
2-3.日本での拡散理由
日本と英語圏では、言語の壁の問題がある。
日本ではゲーマーゲートの抱える多数の問題や、暴力事件への結びつきなどの背景事情が共有されていない。
そうした状況では、ゲーマーゲート思想に基づく主張であっても、単なるゲームへの批判的な意見と思われ、信用される。
ゲーマーゲート思想の日本への「輸入」は成功したと言っても良いだろう。それが分かるのが『アサシンクリード』へのバッシングだ。
『アサシンクリード』バッシングを牽引したのはgrummzという英語圏のインフルエンサーだ。
彼は近年のゲームクリエイターとしての活動の実績がほとんどなく、詐欺まがいの集金を行うなど悪名高い人物であった。日本ではそうした悪名は認知されず、「ゲーム関係者だから信頼できる」という思い込みで大量のデマが輸入された。
当たり前のことだが、あるゲームの関係者であることは、無関係なゲームの内部事情を知っていることを意味しない。関係者であっても、権限次第では知らない事情や、一方的な目線しか持たないこともある。
しっかりとした裏付けがない「クリエイターの主張」は、一般ゲーマーの憶測と大差のないものである。
3.アーマード・コアのファンとして
3-0.本項の要点
- 『アーマード・コア』は多様なプレイヤーを想定している
- 多くのファンは、ファンダムの多様性を理解している
- 当該人物の主張は、ACファンとして見過ごせなかった
2-1.アーマード・コアはwokeである
フロム・ソフトウェアのゲームは、その難易度やダークな世界観から、保守的な男性ゲーマー向けの作品であるというイメージを持たれがちだし、そのようなゲーマーを惹きつけている。これは残念ながら、事実だ。
しかし、その一方でゲームのストーリーやキャラクターの設定などを理由に、wokeなゲームだとみなす意見もある。
『アーマード・コア』シリーズは、少なくとも最新作である『AC6』は、wokeなゲームだと言えるだろう。プレイヤーが男性に限定されることを望んでおらず、多様なゲーマーを想定した物語であるからだ。
『AC6』の主人公であるC4-621には、性別が設定されていない。登場人物との関係性は、プレイヤーの性自認の影響を受けない。
『アーマード・コア』シリーズは、元々主人公の個人情報は希薄である。しかし、そうした中でも一部の主人公には、男性であると読み取れる描写が存在した。621の個人情報は、意図的にぼかされていると思われる。
『アーマード・コア』シリーズでは、登場人物の容姿が分からない代わりに、ロボットが登場人物のアバターのように振る舞う。
ロボットの機体構成には、その人物の所属や戦闘スタイルといった「思想」が現れている。これらは拡張された身体の表現でもあるが、自由に組み換えが可能で、人体から逸脱した形状も選択できる。
生まれ持った身体ではなく、自分で選び取った自由な身体を肯定する。このゲームシステムは、トランジションとして読み解くことも可能である。
(参考サイト:クィアゲーマー魂の1本:第4回はkani_pepsiさんと「ARMORED CORE VI」。身体を選択・交換することと,トランスネスの共鳴)
プレイヤーの立ち位置に関しても、メッセージ性が読み取れる。
多くの『アーマード・コア』シリーズ作品で主人公/プレイヤーの通称である「レイヴン」という名の扱いから、このゲームが誰をプレイヤーとして想定しているのかを考えたい。
621は「レイヴン」のライセンスを盗んで成り代わった、偽物の主人公だ。しかし621は本物のレイヴンとの戦いで、その名を継ぐことを認められる。本物のレイヴンの性別も不明であり、「レイヴン」は複数の人物に継がれてきた名前であった。
この物語は、それまで主に男性プレイヤーを想定していたゲームが、多様な性別のプレイヤーに開かれたことを示すと同時に、過去のプレイヤーも実は男性ばかりとは限らないのだ、という可能性を示唆するものだ。
極め付けは「賽は投げられた」ルートの結末である。この物語は全体的にアーマード・コアシリーズの歴史メタを扱っているように思えるが、全ての人類がACとなる人類補完計画めいた壮大なラストは、これ以上ないくらいプレイヤーの多様性を肯定するものだ。
2-2.獲得された多様なファンダム
『AC6』が多様性を肯定する物語であったことは、ファンダムにも影響を与えた。
魅力的なキャラクターは女性ファンを多く獲得し「夢女子ランキング」で選ばれたり、女性向け即売会でオンリーが行われるなど、女性によるファン活動が活発化した。
男性の登場人物同士が複雑な人間関係を暗示しても、それは「ゲイヴン」のように嘲笑の対象ではなく、真剣に恋愛関係として考察されるようになった。
もちろん、いい話ばかりではない。「夢女子ランキング」はあまりにも有名になりすぎたため、RTA in Japanやパロディ漫画などで、女性ファンへの揶揄がなされ、炎上もした。
揶揄自体は残念だが、炎上が発生する環境があるのは良いことでもある。男性でないファンを新参扱いしたり、楽しみ方を奇妙に思い、嘲笑する行為は許されるべきではないという、ファンダムの合意が形成されていたからだ。
2-3.ACファンとしての考え
こうしたファンダムの在り方に「救われた」いちファンとしては、『アーマード・コア』のファンを名乗る人物により、ゲームの実態に反した政治主張が行われていることを、非常に残念に思う。
自分は当該人物への「持ち上げ」が完全に男性ゲーマー限定の現象であったため、大した影響はないだろうと看過してきた。
しかし、大手Webメディアの記事を権威に、陰謀論的な政治主張を広めることは流石に容認できるものではない。そのため、問題の周知のために、文章をまとめておこうと思った。
アーマード・コアは全ての人々のためにある。
【ゲーム】海洋お掃除&可愛い生き物『Loddlenaut』
ロードルが可愛い。
悪徳企業に汚染された海の環境を取り戻すために、水中の掃除をするゲーム。
お掃除ゲームは『PowerWash Simulator』のヒットあたりから一大ジャンルと化している。本作のシステムはそうしたジャンルの正統派で、特筆すべき点はない。
全体的に難易度は易しめで、死亡ペナルティもほとんどなく、掃除するポイントも分かりやすい。1〜2日程度でやり込みも含めた完全クリア可能。
欠点はキーコンフィングが無い点で、コントローラー操作だと上下移動のキー配置が少し直感的でない。
海中のゲームなのだが、海洋恐怖症や息苦しい雰囲気は少なく、可愛らしい雰囲気でまとめられている。
主人公は二頭身の潜水服で、もっちりとした手足がチャーミングだ。デフォルメされた背中に大胆にUIが表示されていることに気づくと、酸素の管理や上下感覚の理解がだいぶ楽になる。

海にはタイトルにもなっている生物・ロードルが住んでいる。これがとにかく可愛らしい。
ロードルは公式では「ウーパールーパーに似ている」と言われているが、個人的にはマリアナスネイルフィッシュに似ていると思う。
ロードルは水棲生物の最大公約数のような見た目をしており、食べた餌によってエイやメンダコに似た多様な姿に変態する。
ロードルの良い点は、幼体がそのまま大きくなった変態が用意されている点だ。これは能力が無いバニラで、あまり役に立たないのだが、それでも選択肢があるのはファン心理をよく分かっていると思う。
ポケモンなどがいい例だが、生き物マスコットには幼体の方が可愛かったという意見が大抵出てくる。だが、ゲームの効率を求めると幼体を維持するメリットが無かったり、成長を止める手段が無かったりするジレンマが発生する。
元ネタになったウーパールーパーは幼形成熟があるので、この成長は生き物としても自然に見える点もよくできていると思う。
このゲームには、ちょっとした育成要素も入っている。海は掃除をしても時間経過で汚れてしまうのだが、浄化能力を持ったロードルを放つことで、汚染を止められる。各エリアの生物多様性を高めることでエリアの評価が上がる。
ロードルには多様な種類の他に、色柄や性格などの組み合わせもある。が、育成要素はあくまでおまけなので、そこまで厳選ができる仕組みが整備されているわけではない。
ロードルはめちゃくちゃ可愛いので、個人的に育成要素をメインにしたスピンオフが出たら嬉しい。
掃除ゲームは効率がどんどん高まる作業ゲーという点で、工場ゲームとよく似ている。が、掃除の良いところは終わりがあるという点だ。
このゲームは値段の割にはボリュームが少なく、リピート性も少ない。セールで購入するのが妥当であると感じる。が、数日でプレイできて、完全に終われるというゲーム性自体は、ゲーマーに優しい。
【ゲーム】錯視系3Dパズルゲーム『Viewfinder』
Epic Games Storeの無料キャンペーンで入手。
錯視系の3Dパズルゲーム。撮った写真をかざして現実の世界にオブジェクトを出現させるギミックが特徴で、一日くらいでやり込み要素も含めてクリア可能。
難易度やボリュームはちょうど良いバランスで、ギミックを気軽に楽しめる範疇で完結している。
個人的に謎解きゲームでは、「ズル」ができるほど楽しいと思う。このゲームは正攻法の時点でズルい感じの手段なので、ギミックのハックが好きな人に向いているゲームだと言える。
地形破壊や無限増殖など、だいぶめちゃくちゃな攻略が可能で、それに対応した実績も用意されている。
反面、攻略手段の自由度が高いわけではなく、解法が複数あったり、本当の意味でのズルができるステージは稀である。
最終面だけ前のステージからアイテムを持ち越せる都合上、ギミックを無視したプレイが可能だが、そこぐらいしか思いつかない。この最終面はいきなりシビアな時間制限付きステージになっており、難しいがやり応えがあった。
もう少し最終面のような自由度と難易度の高い面があってもいいような気もするが、それがあるとギミックに飽きてしまうかもしれない。絶妙なバランスをしていると思う。
リトライ性の高さも快適さに繋がっている。全実績を解除しようと思うと、未取得の実績アイテムの場所やステージの順番が分かりづらいなどの問題が現れるが、普通にプレイする分には問題はない。
シンプルで愛嬌のある雰囲気のビジュアルも好みだ。猫もかわいい。